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グリーフ(喪失に伴う悲嘆)を経験するのは、愛する誰かや何かとのゆたかな時間が存在した証



上智大学グリーフケア研究所の春学期が終わり、レポートも無事提出できました(ほっ)。

(そして実はあと1本レポートが残っています、9月〆切)


レポート提出の前日というアワアワしている日に『ケアミーツアートinみなと』での「第1回 悲しみから学ぶグリーフケア~ケアミーツアート」に参加しました。


主宰者のおひとり、ケアミーツアート研究所代表の入江杏さんは2000年大晦日に起きた世田谷一家殺害事件のご遺族です。お子さんを含めた4人家族が殺害され、23年経った今でも未解決事件のまま。わたしは痛ましいその事件の概要は知りながらも、詳細についてなかなか知る機会を得ようとしていませんでした。


そんななか、上智大学グリーフケア研究所で入江杏さんが講師をなさっていることを知って、そのご著書『わたしからはじまる: 悲しみを物語るということ』『悲しみとともにどう生きるか』を読み、残されたご遺族がどんなお気持ちでどんな日々を送られてきたのかを初めて知りました。と同時に、グリーフケアがまだまだ日本では進んでいないこと、グリーフケアへの大切さに気づかされました。


わたしたちは生きていれば、大切な何かを失うことに伴うグリーフ(悲嘆)を経験しない人はいません。グリーフは大切な人だけにとどまらず、大切な仕事、役職、関係性、居場所、身体の一部などの喪失経験も広く含まれることを考えると、なおさらです。


にもかかわらず、グリーフに対してどう対応するのかというケアについて学ぶ機会がないまま大人になる人がほとんどです。直面したときにもがき、苦しむ。悲しみの時間が永遠のように感じるなか、早くこの辛さがから脱して日常に戻りたいと切に思う。一瞬悲しみが和らぐ瞬間を感じたと思ったら、またすぐに引き戻されたり。行きつ戻りつしていると、「もう1年経ったんだから、そんなにふさぎ込んでいないで、そろそろ前を向いてもいいんじゃない?」と心配してくれるが故に突き刺さる言葉を周囲からもらうことも。


グリーフは様々要因から極めて個別性が高いことが特徴です。たとえば、愛する家族を亡くした人がいたとして、1年で気持ちが落ち着く人もいれば、30年経っても落ち着かない人もいます。


でも・・・渦中にいるときは気づかないかもしれないけれど、悲しみも大切な大切な感情のひとつ。


「あなたらしく、悲しんでいい」


入江杏さんのあたたかい言葉が胸に響きます。そう、自分らしく存分に悲しんでいい。


「グリーフを経験したくないならば、誰とも何とも付き合わず、関係を持たなければいい。グリーフを経験するのは、愛する誰かや何かとのゆたかな時間がそこにあったからこそ」


春学期授業でのとある先生からの言葉。たしかにそう。逆に、何にも持たず、誰とも付き合わない人生は果たして自分が望むゆたかな人生なのだろうか。いいえ、決してそれは望んでいない。辛いグリーフを経験するほどに、愛する誰かと何かと一緒に過ごした時間がたしかに存在して、その時間は紛れもなくわたしを形づくっていき、かけがえのない愛しい人生になっているはず。


愛という漢字は、【愛しい=いとしい】が一般的ですが、それ以外にも「うつくしい、かなしい」という読み方もあるんです。グリーフも愛するが故に亡くして嘆き悲しむわけですから、「愛」と「かなしみ」はワンセットなのだと思います。


と綴った今年最初のブログを思い出しつつ、人としてもキャリアコンサルタントとしても誰かの悲しみに一緒にとどまって、ともに感じる人でありたいです。


(おしまい)



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