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社会人が第一志望大学院一般入試を受験して合格した方法③~知能編~

  • 執筆者の写真: sakuravivalavida
    sakuravivalavida
  • 2025年12月26日
  • 読了時間: 6分


今回が3回シリーズのラスト記事です。

1回目の時間編2回目の勉強編もご一緒にどうぞ!


院試では暗記というよりも「理論をどう展開し、応用できるか」といった論理的思考力を見られていると前回の記事でお伝えしました。たしかにそうです。ですが、これは覚えなくていいということではありません。専門科目においては、キーワードや諸理論をある程度覚えて理解する必要があります。


キャリアコンサルタント養成講座の受講生さんもよく言われることですが、「加齢で覚えたものが右から左へと抜けていく(悲)」といった、「若い頃と違って記憶力が落ちた」ということ。


これについて、勇気づけられる研究結果と情報があるので、ぜひ共有させてください。



知能には2つある


英国心理学者レイモンド・キャッテルが「流動性知能と結晶性知能」を提唱しました。近年では、ビジネス界隈でもときどき聞かれるようになったので、ご存じの方もいらっしゃるでしょう。


流動性知能とは、どのような論点でも適用可能な思考力や推論力、暗記力、計算力などを指します。情報を獲得し、それをスピーディーに処理・加工・操作する知能のことで、問題解決に大いに役立ちます。遺伝的に受け継がれ、ピークは20代前半あたり。その後は徐々に下降していくと考えました。


結晶性知能とは、経験や学習などから獲得していく知能のことで、言語力に依存するところがあります。知識の貯蔵や作業仮説、判断機能を指し、洞察力、理解力、批判や創造の能力といったものが該当します。仕事や社会生活、人間関係などの経験に基づいた知能が結晶性知能であり、流動性知能が下降していくなかでこちらは逆に増加します。65歳くらいまでは一定し、その後徐々に下降すると考えられています。


この2種類の知能は独立してはいますが、互いに相関関係があるといわれています。つまり、「いかに流動性知能が高い個人でも、知能を発達させる環境(例;学校)に晒されなければ、結晶性知能はあまり発達しない」(ウィキペディア「レイモンド・キャッテル」より)と言われるように、流動性知能が何もない状態では結晶性知能は高まることは難しいうこと。


これが、キャッテルは優生思想をもった白人至上主義者だと言われてしまうゆえんです。すなわち、経済的に余裕のある家に生まれて、教育が受けられる環境で育たなければ、歳をとっても安定的に発揮できる知能は残らない、ということを暗に言っていますから。ある種の差別主義の上に成り立つ理論のようにも見えますが、個人的には本当にそうだろうかとも思います。



Book Smart or Street Smart?


別の側面から見てみましょう。

"Book smart" と "Street smart" という英語表現があります。それぞれ異なる種類の知識と賢さを指す言葉です。以下引用。


"Book smart" は、書籍や教科書を通じて獲得した学術的な知識や理論的な洞察に焦点を当てています。この表現は、形式的な教育や学術的な研究に関連する知識を指します。"Book smart" な人は、学校や大学で学んだ知識に強調を置いており、理論的な問題に対処するのに優れています。

"Street smart" は、実用的な知識や現実世界での洞察に焦点を当てています。この表現は、日常生活や実際の状況に関連する知識、経験、そして社会的なスキルを指します。"Street smart" な人は、現実の問題や社会的な状況に適応し、実際の状況で成功するための知恵を持っています。

要するに、"Book smart" は理論的な知識と学問的なバックグラウンドに焦点を当て、一方で "Street smart" は実用的な知識、現実世界での経験、および社会的な知恵に焦点を当てています。どちらも異なるタイプの知識と賢さを表す表現です。


経済的に余裕のある家に生まれて、教育が十分に受けられる環境で育たなかったとしても、早々に社会に出てStreet smartのように実社会で学び、考え、吸収し、経験していくことはできます。それによって流動性知能も発達できる可能性はあるのではないか、とも思うのです。科学的検証はしていないので、これはあくまで私見ですが。キャッテルの提唱した2つの知能については、のちにいろいろな批判が出ていることも確かなのですが、こんなふうな見方もできるのではないかなとも個人的に思った次第です。



大人になってからの学び方


社会人が院試受験をしたり、資格試験受験をしたりと、今の世の中にはたくさんいらっしゃいますね。わたしは学ぶことによって数えきれない恩恵を授かり、学びでの多くの出会いを通して人生をゆたかにし、本来の自分自身に還る感覚が得られているため、本当に有難いと思っています。学ぶことと人生はワンセット。学びなしには、今の私はいません。


たしかに、瞬発力を発揮して素早い頭の回転でもって切れ味鋭く問題解決をしていく能力は落ちていると思います(いや、もともとさほど高くない笑)。なんなら、40代以降とくに集中力も体力も確実に落ちていますから、一日12時間以上の没頭は正直難しい。


ですが、book smartにせよ、street smartにせよ、それらが流動性知能の貯蔵をおそらく作り、40代以降は「やみくもに暗記して記憶する」ではなく、結晶性知能によって「実体験に基いて経験的に理解できて腑に落ち、結果、記憶できる」に移行していくのではないでしょうか。


今回、院試受験勉強を通して実感したのは、暗記力や記憶力だけでは解けないということ。新たに記憶したものを論理的思考力をもとに、わたしの人生でこれまで経験したことや獲得してきた展開力、応用力などを総動員して解いていけるということが、正解がひとつではない院試(専門科目)なのだと思います。研究もまさにそうですよね。唯一の正解を導き出すものではないですから。


これは院試のみならず、難関の司法試験やそのほかの資格試験でも同様だと思います(40代以降で司法試験に合格した方々の話で「試験勉強では、これまでの人生経験が大いに役立った」と聞いたことがあります)。


なにより、若年時代と大きく異なるのは、好奇心。これは20代よりも間違いなく、一層強くなりました。この好奇心はあなどれませんよ、本当に。「知りたい、わかりたい」という泉のように湧き出る欲求が大きな原動力になっています。そして、人生経験とともに年齢を重ねたからこそ強まった好奇心は、拠り所にもなってくれます。


数々の人生経験はその渦中にいるときには、辛く悲しいこともたくさんありますね。でもそれらを経験していなかったら、この好奇心もまた生まれていない可能性は十分にある。


年齢を重ねることは、若年時代とはまた異なる能力を発達させていくともいえますね。湧きおこる好奇心とともに自らの結晶性知能を信じて、来春からの研究生活を楽しみたいと思います。


ここまで3回シリーズで院試受験シリーズを書いてみました。わたし自身の記録とともに、このささやかな記事がどこかの誰かの参考に少しでもなることを願って。では!

(おしまい)



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